
KO-HEY(二輪、自動車整備業)
ゼファー400、モンキー、スーパーカブ所有!
バイク屋&自動車整備
会社名→Revive factory
バイク整備&レストア整備
自動車整備、車検も承ります!
モトブログ、整備動画でYouTubeにも投稿しています!
https://www.youtube.com/channel/UCMvlu6ISJ_UWBFf0LIe-nfw
検索方法→リバイブファクトリーで検索お願い致します!
また、Instagramも掲載中!
検索方法→Revivefactory


ハイエースのリヤバンパー交換!右側ん傷つけてしまったということで作業しました🙂10人乗りハイエースて広くて大家族にはいい車だね🤤
-----------------------------------
Revive factory(リバイブファクトリー)
所在地:群馬県前橋市富田町761-2
駒形駅から車で約10分
定休日→毎週日曜日、祝日
営業時間→AM10:00〜PM6:00
※ご来店の際は必ずご連絡ください
駐車場状況→工場前の空いてるスペースをご利用ください
#車整備 #バイク整備 #レストア #車販売 #バイク販売 #旧車會 #旧車 #暴走族 #山猿 #ゼファー400 #zephyr400 #ハイエース #hiace
関連する投稿
-
9時間前
9グー!
#SUZUKI #GSR250 #GJ55D
納車記念にパシャリ!!!
人気の#250cc #ロードスポーツバイク
気軽にフォロー、いいね!、コメントよろしくお願いします。
気になる事はなんでもDM下さい。
詳しい在庫情報はグーバイクをクリック!
トップページのURLからどうぞ!
https://sp.goobike.com/shop/client_8702469
#バイク乗りとして軽く自己紹介
#バイクショップエルサイズ
#バイク屋 #高石市 #バイク売ります #バイク売買 #中古車 #バイク販売 #バイク買います #メンテナンス #カスタム 修理 車検 なんでも受付中 #バイク #BIKE #ライダー #バイク好きな人と繋がりたい #バイクのある生活 #バイク女子 #バイクのある風景 #バイクが好きだ #バイクライフ #ツーリング #ツーリング日和 #スタッフ募集 #整備士募集 #バイト募集 #店長候補募集 -
09月23日
106グー!
1980年代・千葉県成田地域の暴走族文化。
千葉県成田市在住の中鉢竜一様をはじめ、その周りの先輩・後輩、関係者の方々が当時造り上げていた車輌は、私から見ると非常にハイセンスな暴走族仕様です。
中鉢竜一様は、初期の頃は御自身でCBX400Fにラインを引き、缶スプレーで自家塗装されていたそうですが、今回の動画に登場するCBX400Fだけは、唯一、塗装業者へ依頼された一台との事。
但し、ライン・配色・仕様に関しては、中鉢竜一様御自身が考え、デザインし、形にされた車輌です。
その後は細かい部分のデザインまで自分の納得出来る形に仕上げるためにコンプレッサー、ガン、ウレタン塗料など板金塗装専用の道具を用意し全て自家塗装でその都度、納得の1台を作り上げていったそうです。
昼間からロケットカウルや竹ヤリを装着して走っていたというお話を伺った時は、本当に驚きました。
また当時、特攻服は濃紺・黒・白の三色が主流だった中、白い特攻服を自分達でピンク色に染め、皆を笑わせたというお話も大変印象に残っています。
そこにも、千葉県成田地域ならではの発想と、独自の自己表現があったのだと思います。
タオルで顔を覆っていた理由についても、私は長年「顔を隠す為」だと思っておりましたが、実際には寒さ対策だったと伺い、当時を知る方から直接お話を聞く事の大切さを改めて感じました。
私は昭和57年生まれで、1990年代から2000年代にかけて、沖縄市で初代から三代目まで【美♬音】という暴走族として走っていました。
しかし当時の沖縄では、ロケットカウル・竹ヤリ・風防等を装着して走れば、警察に止められる事が当然の時代。
物流の違いもあり、少なくとも私が走っていた沖縄市では、ロケットカウルを装着した車輌を見る事自体が殆どありませんでした。
その後、本土からロケットカウル等が入ってくるようになっても、私達が装着するのは引退式等の大きな場面が中心でした。
だからこそ、1980年代の関東地方、そして成田地域の暴走族仕様には、今でも強い憧れがあります。
私自身もロケットカウルを装着して走った経験がありますが、ハンドル周りが重たく、非常に運転しづらかった事を今でも覚えています。
それを昭和の当時、当たり前のように装着し、自分達のスタイルとして走り続けていた方々を思うと、尊敬の念しかありません。
今回、特に見て頂きたいのが中鉢竜一様のCBX400Fです。
通常であればタンクに入る「HONDA」のロゴを敢えて消し、メーカーの看板よりも、自分達が背負う東京連合【成田・䥝】という看板を前面に押し出す。
その発想と拘りに、私は強く惹かれます。
現在では純正色やHONDAオリジナルカラーを大切に保存する価値観もあります。
しかし当時の方々は、そこから更に自分達の色へ染め上げ、自分達だけの一台を造り上げていました。
竹ヤリに均一に巻かれたテープ、装飾品の差し色、車体全体との配色まで細かく見ていくと、単なる改造ではなく、一台一台に確かな美意識と拘りがあった事が伝わってきます。
物事は、憧れや真似る事から始まるものだと思います。
私達沖縄の世代も、雑誌等で見た関東地方の暴走族仕様に憧れ、その形を参考にしながら自分達のバイクを造っていました。
改めて当時のお写真や御話に触れる度に思います。
「昭和という時代を本気で生きた方々は凄い。」
私には、やはりこの言葉しか見当たりません。
#東京連合 #成田䥝 #䥝 #ミナゴロシ #暴走族 -
09月23日
93グー!
1980年代、千葉県成田市地域の暴走族文化。
当時の成田市が、現在よりも穏やかな地域だったとはいえ、普段からナンバープレートを外したり、見えないように上げたり、竹ヤリやロケットカウルを装着した車輛で、昼間から走っていたというお話には本当に驚かされます。
また、自動二輪車のヘルメット着用は、1978年(昭和53年)に全ての道路で義務化されています。
それにも拘らず、中鉢竜一様をはじめ、当時の成田地域の方々が昼間からノーヘルでバイクを乗り回していたというお話は、令和の現在では中々想像できません。
「無免許なんだし、捕まったら同じ処罰だから、自分のスタイルで走る」
当時の方から伺ったこの言葉からも、良い悪いは別として、自分達のスタイルに拘り、それを徹底して貫いていた時代だったことが伝わってきます。
そして成田という地域には、暴走族文化よりも以前から、成田空港建設を巡る「三里塚闘争(成田空港反対闘争)」という大きな歴史があります。
1966年、成田市三里塚を中心とする地域への新空港建設が正式に決定され、その後、長期間にわたって激しい反対運動と対立が続き、1978年に成田空港は開港しました。
勿論、この三里塚闘争と1980年代の暴走族文化を、直接結び付けることはできません。
ただ、三里塚闘争の影響もあり、当時の成田周辺では通常よりも厳しい機動隊による警備や検問が行われていたことも、当時の成田という地域を知る上で、大切な背景の一つだと思います。
そうした環境の中で、独自の不良文化や暴走族文化が存在し、車輛やファッション、走り方にまで、それぞれの拘りや個性が表れていたことは、当時の写真や関係者様のお話からも強く感じます。
車輛、ファッション、走り方、仲間との繋がり、そして当時を生きた人達の考え方。
単純に良い悪いだけで片付けるのではなく、今では見ることのできない1980年代の成田の姿を、当時を知る方々の証言と共に、一つの時代の記録として残していきたいと思います。
#東京連合 #成田䥝 #䥝 #ミナゴロシ #暴走族 -
09月23日
93グー!
1980年代、千葉県成田市地域の暴走族文化。
当時の成田市が、現在よりも穏やかな地域だったとはいえ、普段からナンバープレートを外したり、見えないように上げたり、竹ヤリやロケットカウルを装着した車輛で、昼間から走っていたというお話には本当に驚かされます。
また、自動二輪車のヘルメット着用は、1978年(昭和53年)に全ての道路で義務化されています。
それにも拘らず、中鉢竜一様をはじめ、当時の成田地域の方々が昼間からノーヘルでバイクを乗り回していたというお話は、令和の現在では中々想像できません。
「無免許なんだし、捕まったら同じ処罰だから、自分のスタイルで走る」
当時の方から伺ったこの言葉からも、良い悪いは別として、自分達のスタイルに拘り、それを徹底して貫いていた時代だったことが伝わってきます。
そして成田という地域には、暴走族文化よりも以前から、成田空港建設を巡る「三里塚闘争(成田空港反対闘争)」という大きな歴史があります。
1966年、成田市三里塚を中心とする地域への新空港建設が正式に決定され、その後、長期間にわたって激しい反対運動と対立が続き、1978年に成田空港は開港しました。
勿論、この三里塚闘争と1980年代の暴走族文化を、直接結び付けることはできません。
ただ、三里塚闘争の影響もあり、当時の成田周辺では通常よりも厳しい機動隊による警備や検問が行われていたことも、当時の成田という地域を知る上で、大切な背景の一つだと思います。
そうした環境の中で、独自の不良文化や暴走族文化が存在し、車輛やファッション、走り方にまで、それぞれの拘りや個性が表れていたことは、当時の写真や関係者様のお話からも強く感じます。
車輛、ファッション、走り方、仲間との繋がり、そして当時を生きた人達の考え方。
単純に良い悪いだけで片付けるのではなく、今では見ることのできない1980年代の成田の姿を、当時を知る方々の証言と共に、一つの時代の記録として残していきたいと思います。
#東京連合 #成田䥝 #䥝 #ミナゴロシ #暴走族 -
09月23日
78グー!
1980年代、千葉県成田市地域の暴走族文化。
当時の成田市が、現在よりも穏やかな地域だったとはいえ、普段からナンバープレートを外したり、見えないように上げたり、竹ヤリやロケットカウルを装着した車輛で、昼間から走っていたというお話には本当に驚かされます。
また、自動二輪車のヘルメット着用は、1978年(昭和53年)に全ての道路で義務化されています。
それにも拘らず、中鉢竜一様をはじめ、当時の成田地域の方々が昼間からノーヘルでバイクを乗り回していたというお話は、令和の現在では中々想像できません。
「無免許なんだし、捕まったら同じ処罰だから、自分のスタイルで走る」
当時の方から伺ったこの言葉からも、良い悪いは別として、自分達のスタイルに拘り、それを徹底して貫いていた時代だったことが伝わってきます。
そして成田という地域には、暴走族文化よりも以前から、成田空港建設を巡る「三里塚闘争(成田空港反対闘争)」という大きな歴史があります。
1966年、成田市三里塚を中心とする地域への新空港建設が正式に決定され、その後、長期間にわたって激しい反対運動と対立が続き、1978年に成田空港は開港しました。
勿論、この三里塚闘争と1980年代の暴走族文化を、直接結び付けることはできません。
ただ、三里塚闘争の影響もあり、当時の成田周辺では通常よりも厳しい機動隊による警備や検問が行われていたことも、当時の成田という地域を知る上で、大切な背景の一つだと思います。
そうした環境の中で、独自の不良文化や暴走族文化が存在し、車輛やファッション、走り方にまで、それぞれの拘りや個性が表れていたことは、当時の写真や関係者様のお話からも強く感じます。
車輛、ファッション、走り方、仲間との繋がり、そして当時を生きた人達の考え方。
単純に良い悪いだけで片付けるのではなく、今では見ることのできない1980年代の成田の姿を、当時を知る方々の証言と共に、一つの時代の記録として残していきたいと思います。
#東京連合 #成田䥝 #䥝 #ミナゴロシ #暴走族 -
09月23日
84グー!
1980年代、千葉県成田市地域の暴走族文化。
当時の成田市が、現在よりも穏やかな地域だったとはいえ、普段からナンバープレートを外したり、見えないように上げたり、竹ヤリやロケットカウルを装着した車輛で、昼間から走っていたというお話には本当に驚かされます。
また、自動二輪車のヘルメット着用は、1978年(昭和53年)に全ての道路で義務化されています。
それにも拘らず、中鉢竜一様をはじめ、当時の成田地域の方々が昼間からノーヘルでバイクを乗り回していたというお話は、令和の現在では中々想像できません。
「無免許なんだし、捕まったら同じ処罰だから、自分のスタイルで走る」
当時の方から伺ったこの言葉からも、良い悪いは別として、自分達のスタイルに拘り、それを徹底して貫いていた時代だったことが伝わってきます。
そして成田という地域には、暴走族文化よりも以前から、成田空港建設を巡る「三里塚闘争(成田空港反対闘争)」という大きな歴史があります。
1966年、成田市三里塚を中心とする地域への新空港建設が正式に決定され、その後、長期間にわたって激しい反対運動と対立が続き、1978年に成田空港は開港しました。
勿論、この三里塚闘争と1980年代の暴走族文化を、直接結び付けることはできません。
ただ、三里塚闘争の影響もあり、当時の成田周辺では通常よりも厳しい機動隊による警備や検問が行われていたことも、当時の成田という地域を知る上で、大切な背景の一つだと思います。
そうした環境の中で、独自の不良文化や暴走族文化が存在し、車輛やファッション、走り方にまで、それぞれの拘りや個性が表れていたことは、当時の写真や関係者様のお話からも強く感じます。
車輛、ファッション、走り方、仲間との繋がり、そして当時を生きた人達の考え方。
単純に良い悪いだけで片付けるのではなく、今では見ることのできない1980年代の成田の姿を、当時を知る方々の証言と共に、一つの時代の記録として残していきたいと思います。
#東京連合 #成田䥝 #䥝 #ミナゴロシ #暴走族 -
09月23日
73グー!
1980年代、千葉県成田市地域の暴走族文化。
当時の成田市が、現在よりも穏やかな地域だったとはいえ、普段からナンバープレートを外したり、見えないように上げたり、竹ヤリやロケットカウルを装着した車輛で、昼間から走っていたというお話には本当に驚かされます。
また、自動二輪車のヘルメット着用は、1978年(昭和53年)に全ての道路で義務化されています。
それにも拘らず、中鉢竜一様をはじめ、当時の成田地域の方々が昼間からノーヘルでバイクを乗り回していたというお話は、令和の現在では中々想像できません。
「無免許なんだし、捕まったら同じ処罰だから、自分のスタイルで走る」
当時の方から伺ったこの言葉からも、良い悪いは別として、自分達のスタイルに拘り、それを徹底して貫いていた時代だったことが伝わってきます。
そして成田という地域には、暴走族文化よりも以前から、成田空港建設を巡る「三里塚闘争(成田空港反対闘争)」という大きな歴史があります。
1966年、成田市三里塚を中心とする地域への新空港建設が正式に決定され、その後、長期間にわたって激しい反対運動と対立が続き、1978年に成田空港は開港しました。
勿論、この三里塚闘争と1980年代の暴走族文化を、直接結び付けることはできません。
ただ、三里塚闘争の影響もあり、当時の成田周辺では通常よりも厳しい機動隊による警備や検問が行われていたことも、当時の成田という地域を知る上で、大切な背景の一つだと思います。
そうした環境の中で、独自の不良文化や暴走族文化が存在し、車輛やファッション、走り方にまで、それぞれの拘りや個性が表れていたことは、当時の写真や関係者様のお話からも強く感じます。
車輛、ファッション、走り方、仲間との繋がり、そして当時を生きた人達の考え方。
単純に良い悪いだけで片付けるのではなく、今では見ることのできない1980年代の成田の姿を、当時を知る方々の証言と共に、一つの時代の記録として残していきたいと思います。
#東京連合 #成田䥝 #䥝 #ミナゴロシ #暴走族 -
09月23日
73グー!
1980年代、千葉県成田市地域の暴走族文化。
当時の成田市が、現在よりも穏やかな地域だったとはいえ、普段からナンバープレートを外したり、見えないように上げたり、竹ヤリやロケットカウルを装着した車輛で、昼間から走っていたというお話には本当に驚かされます。
また、自動二輪車のヘルメット着用は、1978年(昭和53年)に全ての道路で義務化されています。
それにも拘らず、中鉢竜一様をはじめ、当時の成田地域の方々が昼間からノーヘルでバイクを乗り回していたというお話は、令和の現在では中々想像できません。
「無免許なんだし、捕まったら同じ処罰だから、自分のスタイルで走る」
当時の方から伺ったこの言葉からも、良い悪いは別として、自分達のスタイルに拘り、それを徹底して貫いていた時代だったことが伝わってきます。
そして成田という地域には、暴走族文化よりも以前から、成田空港建設を巡る「三里塚闘争(成田空港反対闘争)」という大きな歴史があります。
1966年、成田市三里塚を中心とする地域への新空港建設が正式に決定され、その後、長期間にわたって激しい反対運動と対立が続き、1978年に成田空港は開港しました。
勿論、この三里塚闘争と1980年代の暴走族文化を、直接結び付けることはできません。
ただ、三里塚闘争の影響もあり、当時の成田周辺では通常よりも厳しい機動隊による警備や検問が行われていたことも、当時の成田という地域を知る上で、大切な背景の一つだと思います。
そうした環境の中で、独自の不良文化や暴走族文化が存在し、車輛やファッション、走り方にまで、それぞれの拘りや個性が表れていたことは、当時の写真や関係者様のお話からも強く感じます。
車輛、ファッション、走り方、仲間との繋がり、そして当時を生きた人達の考え方。
単純に良い悪いだけで片付けるのではなく、今では見ることのできない1980年代の成田の姿を、当時を知る方々の証言と共に、一つの時代の記録として残していきたいと思います。
#東京連合 #成田䥝 #䥝 #ミナゴロシ #暴走族












