いっちゃん【大人BIKE/人刻】さんが投稿したバイクライフ

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    1980年代・千葉県成田地域の暴走族文化。

    千葉県成田市在住の中鉢竜一様をはじめ、その周りの先輩・後輩、関係者の方々が当時造り上げていた車輌は、私から見ると非常にハイセンスな暴走族仕様です。

    中鉢竜一様は、初期の頃は御自身でCBX400Fにラインを引き、缶スプレーで自家塗装されていたそうですが、今回の動画に登場するCBX400Fだけは、唯一、塗装業者へ依頼された一台との事。

    但し、ライン・配色・仕様に関しては、中鉢竜一様御自身が考え、デザインし、形にされた車輌です。

    その後は細かい部分のデザインまで自分の納得出来る形に仕上げるためにコンプレッサー、ガン、ウレタン塗料など板金塗装専用の道具を用意し全て自家塗装でその都度、納得の1台を作り上げていったそうです。

    昼間からロケットカウルや竹ヤリを装着して走っていたというお話を伺った時は、本当に驚きました。

    また当時、特攻服は濃紺・黒・白の三色が主流だった中、白い特攻服を自分達でピンク色に染め、皆を笑わせたというお話も大変印象に残っています。

    そこにも、千葉県成田地域ならではの発想と、独自の自己表現があったのだと思います。

    タオルで顔を覆っていた理由についても、私は長年「顔を隠す為」だと思っておりましたが、実際には寒さ対策だったと伺い、当時を知る方から直接お話を聞く事の大切さを改めて感じました。

    私は昭和57年生まれで、1990年代から2000年代にかけて、沖縄市で初代から三代目まで【美♬音】という暴走族として走っていました。

    しかし当時の沖縄では、ロケットカウル・竹ヤリ・風防等を装着して走れば、警察に止められる事が当然の時代。

    物流の違いもあり、少なくとも私が走っていた沖縄市では、ロケットカウルを装着した車輌を見る事自体が殆どありませんでした。

    その後、本土からロケットカウル等が入ってくるようになっても、私達が装着するのは引退式等の大きな場面が中心でした。

    だからこそ、1980年代の関東地方、そして成田地域の暴走族仕様には、今でも強い憧れがあります。

    私自身もロケットカウルを装着して走った経験がありますが、ハンドル周りが重たく、非常に運転しづらかった事を今でも覚えています。

    それを昭和の当時、当たり前のように装着し、自分達のスタイルとして走り続けていた方々を思うと、尊敬の念しかありません。

    今回、特に見て頂きたいのが中鉢竜一様のCBX400Fです。

    通常であればタンクに入る「HONDA」のロゴを敢えて消し、メーカーの看板よりも、自分達が背負う東京連合【成田・䥝】という看板を前面に押し出す。

    その発想と拘りに、私は強く惹かれます。

    現在では純正色やHONDAオリジナルカラーを大切に保存する価値観もあります。

    しかし当時の方々は、そこから更に自分達の色へ染め上げ、自分達だけの一台を造り上げていました。

    竹ヤリに均一に巻かれたテープ、装飾品の差し色、車体全体との配色まで細かく見ていくと、単なる改造ではなく、一台一台に確かな美意識と拘りがあった事が伝わってきます。

    物事は、憧れや真似る事から始まるものだと思います。

    私達沖縄の世代も、雑誌等で見た関東地方の暴走族仕様に憧れ、その形を参考にしながら自分達のバイクを造っていました。

    改めて当時のお写真や御話に触れる度に思います。

    「昭和という時代を本気で生きた方々は凄い。」

    私には、やはりこの言葉しか見当たりません。

    #東京連合 #成田䥝 #䥝 #ミナゴロシ #暴走族

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    • いっちゃん【大人BIKE/人刻】さんが投稿したバイクライフ

      09月23日

      93グー!

      1980年代、千葉県成田市地域の暴走族文化。

      当時の成田市が、現在よりも穏やかな地域だったとはいえ、普段からナンバープレートを外したり、見えないように上げたり、竹ヤリやロケットカウルを装着した車輛で、昼間から走っていたというお話には本当に驚かされます。

      また、自動二輪車のヘルメット着用は、1978年(昭和53年)に全ての道路で義務化されています。

      それにも拘らず、中鉢竜一様をはじめ、当時の成田地域の方々が昼間からノーヘルでバイクを乗り回していたというお話は、令和の現在では中々想像できません。

      「無免許なんだし、捕まったら同じ処罰だから、自分のスタイルで走る」

      当時の方から伺ったこの言葉からも、良い悪いは別として、自分達のスタイルに拘り、それを徹底して貫いていた時代だったことが伝わってきます。

      そして成田という地域には、暴走族文化よりも以前から、成田空港建設を巡る「三里塚闘争(成田空港反対闘争)」という大きな歴史があります。

      1966年、成田市三里塚を中心とする地域への新空港建設が正式に決定され、その後、長期間にわたって激しい反対運動と対立が続き、1978年に成田空港は開港しました。

      勿論、この三里塚闘争と1980年代の暴走族文化を、直接結び付けることはできません。

      ただ、三里塚闘争の影響もあり、当時の成田周辺では通常よりも厳しい機動隊による警備や検問が行われていたことも、当時の成田という地域を知る上で、大切な背景の一つだと思います。

      そうした環境の中で、独自の不良文化や暴走族文化が存在し、車輛やファッション、走り方にまで、それぞれの拘りや個性が表れていたことは、当時の写真や関係者様のお話からも強く感じます。

      車輛、ファッション、走り方、仲間との繋がり、そして当時を生きた人達の考え方。

      単純に良い悪いだけで片付けるのではなく、今では見ることのできない1980年代の成田の姿を、当時を知る方々の証言と共に、一つの時代の記録として残していきたいと思います。

      #東京連合 #成田䥝 #䥝 #ミナゴロシ #暴走族

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      09月23日

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      09月23日

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      09月23日

      84グー!

      1980年代、千葉県成田市地域の暴走族文化。

      当時の成田市が、現在よりも穏やかな地域だったとはいえ、普段からナンバープレートを外したり、見えないように上げたり、竹ヤリやロケットカウルを装着した車輛で、昼間から走っていたというお話には本当に驚かされます。

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      それにも拘らず、中鉢竜一様をはじめ、当時の成田地域の方々が昼間からノーヘルでバイクを乗り回していたというお話は、令和の現在では中々想像できません。

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      勿論、この三里塚闘争と1980年代の暴走族文化を、直接結び付けることはできません。

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      そうした環境の中で、独自の不良文化や暴走族文化が存在し、車輛やファッション、走り方にまで、それぞれの拘りや個性が表れていたことは、当時の写真や関係者様のお話からも強く感じます。

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      09月23日

      73グー!

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      73グー!

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      また、自動二輪車のヘルメット着用は、1978年(昭和53年)に全ての道路で義務化されています。

      それにも拘らず、中鉢竜一様をはじめ、当時の成田地域の方々が昼間からノーヘルでバイクを乗り回していたというお話は、令和の現在では中々想像できません。

      「無免許なんだし、捕まったら同じ処罰だから、自分のスタイルで走る」

      当時の方から伺ったこの言葉からも、良い悪いは別として、自分達のスタイルに拘り、それを徹底して貫いていた時代だったことが伝わってきます。

      そして成田という地域には、暴走族文化よりも以前から、成田空港建設を巡る「三里塚闘争(成田空港反対闘争)」という大きな歴史があります。

      1966年、成田市三里塚を中心とする地域への新空港建設が正式に決定され、その後、長期間にわたって激しい反対運動と対立が続き、1978年に成田空港は開港しました。

      勿論、この三里塚闘争と1980年代の暴走族文化を、直接結び付けることはできません。

      ただ、三里塚闘争の影響もあり、当時の成田周辺では通常よりも厳しい機動隊による警備や検問が行われていたことも、当時の成田という地域を知る上で、大切な背景の一つだと思います。

      そうした環境の中で、独自の不良文化や暴走族文化が存在し、車輛やファッション、走り方にまで、それぞれの拘りや個性が表れていたことは、当時の写真や関係者様のお話からも強く感じます。

      車輛、ファッション、走り方、仲間との繋がり、そして当時を生きた人達の考え方。

      単純に良い悪いだけで片付けるのではなく、今では見ることのできない1980年代の成田の姿を、当時を知る方々の証言と共に、一つの時代の記録として残していきたいと思います。

      #東京連合 #成田䥝 #䥝 #ミナゴロシ #暴走族

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      09月21日

      109グー!

      1980年代の千葉県成田市地域の暴走族仕様に、私は凄く興味があります。

      当時は今のように何でも簡単に手に入る時代ではなく、外装パーツなど既製品をカットして自分達でパテ埋めをしたり、シートのあんこ抜きは純正のシートカバーを剥がして削る箇所を書き出し、カッターなどで削り形を整えたのちにチンチラシートへ張り替えるなど、ほとんどを自分達の手で作り上げていたと伺っております。

      また、チンチラの汚れ防止、見た目の精度を上げるため、ビニール素材も自分達で用意し、熱を加えながら伸ばし、シワが寄らないようにピンと張って仕上げていたとのこと。

      塗装についても、初期の頃は当時の最新色を取り入れながら、自分達でマスキングをしてラインを引き、缶スプレーで全塗装していたそうです。

      カッティングシートも、今のように簡単に制作を依頼するのではなく、自分達でデザインし、ハサミやカッターを使って何色ものシートを幾重にも重ねて色分けし、貼り付けていたと伺い、本当に驚きました。

      今の時代は物で溢れ、同じような物を簡単に手に入れられる反面、当時は「無ければ自分達で作る」という感覚そのものが、一台一台の個性になっていたのだと思います。

      中鉢竜一様はHONDA党で、CBX400FとCBR400Fを愛車として所有されていたとのこと。

      動画を止めて見ていただきたいのは、CBX400Fのサイドカバーからシートテールへ繋がるラインのズレの無さ、そして純正CBX400Fのテールをカットし、Z2テールを二個一でパテ埋めして接続し、自身で仕様変更されている部分です。

      いくら当時はお金が無く、自分達でやるしかなかったとはいえ、その仕上がりは私達の世代から見ると、まさに本物の「当時仕様」だと感じます。

      1980年代、東京連合【成田・䥝】様をはじめとする成田市地域には、北関東を含めた周辺地域とも繋がりながら、独自の暴走族文化と車輌文化が確かに存在していたのだと、今回改めてハッキリと理解しました。

      #東京連合 #成田䥝 #䥝 #ミナゴロシ #暴走族

    • いっちゃん【大人BIKE/人刻】さんが投稿したバイクライフ

      09月20日

      107グー!

      1980年代の東京連合【成田・䥝】様は、1970年代当時に存在していた暴走族同士の因果関係をそのまま引き継いでいたわけではなく、中鉢竜一様などを通じて、千葉県の他チーム様、鬼羅連合様、とも交流を持ち、集会などで顔を合わせ、共に走ることもあったと伺っております。

      当時の服装にも、1980年代ならではの独特な拘りがあったそうです。

      特攻服には地下足袋を合わせたり、雪駄や平たいローファーなどを履いていたとのこと。

      後年よく見られるようになった特攻服ブーツやコルク半などは、神奈川県を中心とした文化の影響も大きかったとされており、お洒落な集団だったと伺っております。

      また、1980年代は全国各地に数多くの暴走族チームが存在し、中学校単位でチームが形成される地域もあった一方、関東地方では複数地域をまとめた「連合」という形も多く、学校単位というより、地域単位で一つの大きな集団としてまとまっていた地域もあったとのことです。

      そして東京連合【成田・䥝】中鉢竜一様は、バイクの仕様変更や部品の組み換えなども御自身で行い、塗装についても自らの感性で仕上げていたと伺っております。

      現在では、旧車の塗装を缶スプレーだけで仕上げる機会は少なくなりましたが、1980年代当時の暴走族文化では、既製品をそのまま取り付けるだけではなく、自分たちの手で部品を組み換え、塗装し、それぞれの感性で独自の仕様を作り上げていた時代だったようです。

      そして、もう一つ非常に興味深いのが、

      【䥝】

      という文字です。

      「みなごろし」を表す本来の漢字としては【鏖】という字がありますが、東京連合【䥝】様で使用されてきた【䥝】については、当時独自に用いられた創作的な漢字であったと伺っております。

      昭和の暴走族文化の中で、東京連合【䥝】という名称が新聞・雑誌・口コミなどを通じて広まり、長い年月の中で【䥝】という文字そのものも、多くの人々に「みなごろし」として認識されるようになっていったそうです。

      携帯電話もポケベルもSNSも無かった時代。

      人から人へ、口コミで名前が伝わり、雑誌や新聞を通じて全国へ知られていった昭和の暴走族文化。

      東京連合【成田・䥝】様にも、当時の時代背景や服装、バイクの仕様、仲間同士の繋がり、そして文字一つに至るまで、現在へ残る独自の文化があったと感じます。

      #東京連合 #成田䥝 #䥝 #ミナゴロシ #暴走族

    • いっちゃん【大人BIKE/人刻】さんが投稿したバイクライフ

      09月19日

      109グー!

      東京連合【成田・䥝】様、関係者様から伺ったお話では、1970年代の立ち上げ当時、東京連合【䥝】様には相当な人数が加入していたとのことです。

      その後、暖簾分けという形で千葉県成田市にも、東京連合【成田・䥝】様が発足したと伺っております。

      当時は携帯電話やポケベル、SNSも無かった時代。

      そうした中で大きく拡大しながら、長い年月をかけて東京連合【成田・䥝】様は、独自の暴走族文化へと発展して行きました。

      また、東京連合【成田・䥝】関係者様のお話では漫画『カメレオン』のモデルにもなった地域として有名。

      その文化や思いは下の世代へと受け継がれ、北関東を含む千葉県成田市ならではの暴走族文化として、今も残されていると伺っております。

      東京連合【䥝】という看板は、今でも簡単に名乗れるものではなく、当時の方々が大切に守り抜いてきたからこそ、その歴史や名称は慎重に扱うべきものだと感じてます。

      今回の動画では、東京連合【成田・䥝】中鉢竜一様が生きた80年代・当時の貴重なお写真をお借りし、一つの記録としてまとめさせて頂きました。

      大切なお写真をお貸し頂き、誠に有難う御座いました。

      #東京連合 #成田䥝 #䥝 #暴走族 #bosozoku

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