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ハーレー・ダビッドソン、110年の歴史。

Halay Davidson

ハーレー・ダビッドソン、110年の歴史。

小さな小屋から始まった歴史

創業者の4人

 アメリカを代表するモーターサイクルカンパニーのハーレー・ダビッドソン社(以下H・D)は、ミシガン湖に程近い中東部の都市ウィスコンシン州ミルウォーキーで産声を上げた。1903年、同市の小さな納屋で一台のモーターサイクルが生み出された。設計はウィリアム・S・ハーレー、製作・組み立てはアーサー、ウォルター、ウィリアムのダビッドソン兄弟。この4人の青年によって火が入った空冷単気筒モデルこそ、記念すべきH・Dの第1号車であった。
 19世紀に欧州で起こった産業革命を経て、欧米を中心に各国で工業が盛んとなっていたこの時期。人々はより便利な乗り物を求め、内燃機関が発明され、20世紀初頭には世界的なモーターリゼーションの黎明期を迎えていた。その極めて早い時期にモーターサイクルを完成させた彼らの業績は順調だった。生産規模を拡大しながら1907年には株式会社化し、生産体制を大幅に強化。新型車も精力的に開発し、1909年には最初のVツインエンジン搭載車を発表した。この時すでに同じアメリカのインディアン社はVツインモデルを発売していたが、この時点では性能的にもセールス的にもインディアンがH・Dを凌駕していた。
 転機となるのは第一次世界大戦(1914〜1918年)だった。軍用車としてH・Dよりも多くの車両を納入したインディアンは、市販車生産がおろそかになり市場の信用が失墜、H・Dが飛躍するきっかけとなった。

アメリカを代表するブランドへ

 第一次大戦後、H・Dはクランク軸を横置きしたフラットツインJDを発表、レースの世界でも活躍した。もちろんVツインエンジンも絶えず作られており、こちらもレースで華々しい活躍を見せた。この時期、すでにアメリカでは現在のAMA(American Motorcyclist Association)の前身に当たるFMAやM&ATAといった二輪業界団体が存在しており、レースの統括を行なっていた。1924年にAMAが誕生すると、アメリカ各地でも盛んにレースが行われるようになる。そのレギュレーションにあわせるため、H・Dは1929年にVツイン・サイドバルブの750ccエンジンを開発、それまでのフラッグシップだった1200cc・オポーズドバルブの車両もサイドバルブ化される。しかし、英国を筆頭とする欧州車では高性能の代名詞としてOHV(オーバーヘッドバルブ)の採用が当たり前になっていた時代である。部品点数の少な

納屋

この小さな納屋からH・Dの歴史がスタート。左上の写真は創業者の4人。左からアーサー・D、ウォルター・D、ウィリアム・H、ウィリアム・D。

いサイドバルブには信頼性とコストダウンのメリットはあったものの、更なる高性能を求めるならOHV化は必至だった。H・DもワークスレーサーではOHVを投入していたが、それを市販レベルに落とし込むには至っておらず、VツインのOHVエンジン、ナックルヘッドの登場は1936年まで待たねばならなかった。
 だが1000ccで登場した初代ナックルE、EL(ハイコンプ版)が高い評価を得たことを受け、41年には1200cc版のF、FLが登場。第二次大戦後の48年にはアルミヘッドを使用したパンヘッドを販売、翌年にはテレスコピックフォークを採用するなど最先端の技術を精力的に盛り込んだ。66年にはショベルヘッドが登場するが、現代のH・Dのアイデンティティと呼べる45度Vツインエンジンと、流麗なスタイルはナックルヘッド登場の時点ですでに確立されていたのである。

l 日本上陸から2013年で100年 l

2013年はハーレー・ダビッドソン110周年というメモリアルイヤーであるが、日本とH・Dの関係を見ても、実は記念すべき年である。文明開化に沸いた明治時代が終り、日本も欧米列強に追いつけ追い越せの勢いで富国強兵の道を突き進んでいた大正2年(1913年)、日本に初めてハーレー・ダビッドソンが輸入されたのだ。まだ技術的に欧米のような二輪車を作ることができなかったため、自動車や二輪車は輸入に頼っていたが、こうした車両を研究して、国産車を作る動きが少しずつ出てきた時代である。

1910年代

1910年代と思われる写真には着飾った婦人の姿が。この頃からサイドカーが存在していた。まだまだ庶民にとっては二輪車が高価だった時代である。

1913年に撮影された写真

1913年に撮影された写真。車両は排気量987ccのVツインを積む、9Eと思われる。創業当時は革ベルトだった駆動もすでにチェーンが採用されている。

軍用車の試乗が行われた際のカット

1916年、ミルウォーキー郊外で軍用車の試乗が行われた際のカット。時は第一次大戦真っ只中。機動性に富む二輪車は、戦地での足としても重宝された。

ナックルヘッドのプロトタイプがラインオフ

1936年に登場するナックルヘッドのプロトタイプがラインオフした際のカット。見守るのは創業者の4人。偶然だが並んでいる順番は左上のカットと同じ。

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