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見るからにかわいらしいデザイン
遊び心たっぷりの元祖レジャーバイク
スーパーカブは別格として
ホンダが誇る超ロングセラーモデル
クルマへの積載もしやすく
出先での行動範囲を気軽に拡大
その使い勝手には大きな魅力がある |
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おもにアメリカ市場に向けたユニークなミニバイク。それがモンキーの始まりだ。60年代、まだまだ日本のバイク市場は実用車が主流。ロードスポーツバイクへのトライこそ見られたが遊び心がそそられるバイクなんて影も形もなかった。
そんなとき、早くもホンダはレジャーバイクの開発にも着手。隆盛を謳歌するアメリカ市場を見据えたのが発端と見られるが、1967年にはついに国内初代モデルのZ50Mが6万3000円の価格で新登場。40年近く前の話である。
クルマに積んで遊びに行ける機能性を盛り込んだ仕上がりと、コンパクトなサイズ。そして何よりキュートなフォルムが高く評価され、ジワジワと侮れない人気モデルに。
サスペンションを持たないリジッドフォークには5インチサイズのかわいいタイヤホイールを履く。オシャレな赤色パイプフレームと柄物シートのマッチングは、当時としてはとても斬新であった。しかも、そのシートは乗車時と収納時用に高さが変えられるというこだわりよう。
さらに左右セパレートでアップされたバーハンドルはトップブリッジ部の根元から折りたためる設計。燃料コックはもちろん、フィラーキャップにも燃料漏れ防止コックが設けられ、ステップもたためて横倒しでクルマに積載できるように考えられた親切設計も見逃せないチャームポイントとなったのだ。
余談ながら国内デビューまでには約6年の歳月が費やされている。プロトタイプとして公表されたのは1961年のモーターショーに登場したZ100 。3L容量の三角形タンクを備えスーパーカブのOHVエンジンを搭載。そもそもは鈴鹿テックや多摩テック(モーター遊園地)のアトラクション遊具用として少量生産されたのが始まりだった。
ボクの記憶が正しければ、小学校の高学年以上であれば、100円ぐらいの出費で専用コースをモンキーに乗って1周できた。その後はリトルホンダに乗れた時期もあり、少年がバイクの魅力に触れられる機会として大きな役割を果たしていた事実も見逃せないのだ。
この間、一般市販はされなかったが排気系やタンクの表面処理が異なる数タイプのモンキーが登場。欧州の博物館にも展示された。
やがて輸出向けとして1964年にスポーツカブの燃料タンクを搭載したCZ100がデビューし、アメリカでヒットとなる。その存在を知った日本市場でも販売を求める声が徐々に高まっていったのだ。
さて、モンキーの登場は国内でも話題を集め、レジャーバイクブームの発端となる。1969年にはヒット作のダックスホンダもデビュー。同年モンキーも大きくモデルチェンジされZ50Aが新登場。使用タイヤは5インチから8インチに変更。フロントのみだがテレスコピック式サスペンションを装備。リヤブレーキを手動式に改め自転車と同様な扱いやすさを加味したのも新鮮だった。
翌年に登場したZ50Zは再び足踏み式のリヤブレーキに戻されたが、ダックスホンダと同様に、ステアリング部が切り離せフロントフォークが車体と分離できる仕組みも採用。
そしてデビュー10年が過ぎた1974年には、ついにリヤにもスイングアーム式サスペンションを装備したZ50Jが登場。リヤキャリアも標準装備され、それまで6万3000円だった価格も7万9000円になった。基本的にこのモデルがモンキーのひとつの完成形となった。
その後1978年には9Lビッグタンクを備えたゴリラも投入。モンキーもブラックやゴールドその他の限定特別仕様やメモリアルエディションをリリース。
さらに派生車種としてデュアルヘッドライトのモンキーバハ。ツインチューブフレームを採用した別仕立てのモンキーZ50JR。オフロード走行専用のZ50Rまで登場。
現在も健在で、細部の熟成変更や、カラーリングや細かな仕様変更など、遊び心のあるモデルも次々と投入されてきたが、基本的には30年前のZ50Jのデザインが踏襲されている。
色あせない魅力とロングセラーの秘密は、モンキーならではの変わらない愛らしいフォルムと健気な乗り味にあるといえるだろう。 |
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