
Kamezy
親父のCD90(???)を無免で乗り回していた厨房時代以来、40数年ぶりのバイクです。
初心者とは言え、おっさんライダー、のんびり、マッタリ、気楽にやっていこうと思います。
ヨロシク!
*因みに当方の“グー”は足跡代わりの“ぐー”で、それ以上でもそれ以下でもありませんので、ご理解のほどを! b(~~)

150418 豊川堤防トコトコつー!
PC不調で溜め込んでいたお散歩ツーを随時投下致します。w
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このところの三河湾東岸ツー等で週末カブ散歩にウツツを抜かしている当方、4月18日も天気が良かったので、またまた青カブを引っ張り出しました。
取敢えず、整形外科に持病の薬をもらいに行って、今回はそこから東を目指します。
当初は姫街道を三ケ日に抜けてから、北回りで新城に回ってみようかと考えたのですが、目の前に豊川の堤防を見たら、”堤防を海まで走って見よう!”と閃くものがありました。
以前、豊川の堤防を山に向かって北上したことが有りましたので、今回は南に下って海を目指すことにしました。
取敢えず豊川の堤防で右に折れ、長閑な堤防道をちょっと暑いくらいの日差しを浴びて、鼻歌交じりにカブは進みます。
やがて牛川の渡しの案内板が、、、。
この豊川には今でも現役の渡し船が有り、地元民の足として使われているそうで、一度は乗ってみたいと思いながら、当方、その姿を見たことも有りません。
“これは一見するしか無かろーて!”とハンドルを切り、案内に従って河原の藪道を進んで行きます。
船着き場では丁度渡し船が出るところで、船頭さんが???顔でこちらを見ているので、手を振って乗船の意志のないことを伝え、カブに跨ったまま、水上に滑り出した渡し船をカメラに収めます。
次は乗りに来てみたいですね。
因みにここの渡しは豊橋市の管轄になっていて、船頭さんはれっきとした地方公務員。船が対岸にある時は、此岸にある釣鐘(?)を叩いて船を呼ぶことになっています。
さて、再び堤防道に戻ってしばらく走り、吉田城の二の丸を横目で見ながら豊橋の町に入ります。
吉田城の先で堤防道は国R1と交差しますが、中央分離帯のおかげで横切ることは出来ません。
仕方がないので、国R1に入って吉田大橋を渡り、次の信号で右折、適当なところで再び右折して今度は対岸の堤防道に入ります。
主要幹線道路の国R23から1、2本北に入っていますので街中とは言え、喧騒は聞こえて来ず、ノンビリしたものです。
豊橋の手前で左手に池の中に祠を構えたお寺が見えましたので、ちょっと寄り道。弁天様でした。
豊橋を渡って再び対岸に渡ります。
というのも、お昼に前芝館の焼きアサリ定食を食べたくなったからですが、ご推察の通り、前芝の前芝館は豊川の西(北)岸にあり、現在走っている豊橋の街側は豊川の東(南)岸だからです。
満潮時にはこの辺りまで海水が上がってくるせいか、干潮で水が引いている川にそれなりの人たちが降りて川底を掘っていますが、多分アサリを採っているのでしょう。焼きアサリが楽しみです。www
とは言え、豊川の河口は前芝で豊川放水路の河口とくっ付く為、豊川の堤防道を降りて豊川放水路を西側に渡る橋を探す必要が有り、そこはおなかが減って面倒くさくなった当方、何も考えずにバイクナビの指示に従います。
前芝大橋を渡れば今度は豊川放水路の西岸堤防道を左折。このまま進めば三河湾の手前にある前芝館に一直線です。
20年くらい前はこの前芝館の辺りに2~3件の浜茶屋が並んでいて、こちらで眼前に広がる三河湾を眺めながら、七輪でアサリ等を焼き、ノンビリ食事をしたものですが、店主の老齢化や貝毒だ何だで浜茶屋は無くなり、食堂や宴会場兼備の旅館である前芝館だけが残っています。
とは言え、今回の当方のように、魚介類系の食事をしに前芝館を訪れる人たちもいますけどね~。
焼きアサリ定食でおなかを満たした後は、三河湾臨海緑地を抜け、音羽川の堤防道に入り、音羽川堤防道を赤坂地区まで遡上、そこで音羽川の堤防道が無くなったところで、素直に回頭して帰宅しました。
本日の総走行距離:54.4㎞
本日の総所要時間:4時間