
なっかん
還暦オーバーで急にバイクに目覚め息子が高校の時にバイクを購入時、大反対して今度はオヤジやめとけ!とか言われながら楽しさを熱弁している自分です。
本当にこんなに楽しい世界があるのだと嬉しくて仕方が無い毎日です。天気がよくなればウキウキします。また大きさの序列や装備品の部分もあり財布の中身を見ながら徐々に参加して行きたいです。
皆様の仲間の隅にでも置いてください。宜しくお願い致します。
※最近PCのせいかボイスなどにグーも押せません。な るべくコメントしますがつい時間が経過してつい忘れ たりします申し訳有りません。
またコメントで意味不明な失礼があるかも知れません がご遠慮なく無礼の時は教えて下さい。皆さんに不快 な事を書いてるかもしれませんので。ぼんやりしてい るので許して下さい。オオサカン特有の受けたいの一 心です。

ぶらり古墳の里・旧街道の交流地 羽曳野・藤井寺
本日も午前中は時間があり徘徊しました。河内の國ですからオイラの住む泉州からだと外環状線で大阪府下を山に沿いう回するように北へ伸びます170号線沿いの河内地方です。古代から栄えていた交通の要所でもあり、また豪族も多くいてにぎやかな場所です。古墳も多くあります。まだまだ古代歴史の調査中の場所です。
今回は藤井寺です、以前道明寺というお寺は行きましたので。今回は羽曳野とこの2つの町を徘徊しました。羽曳野は道の駅があり、野菜も産直がにぎわいのところでもあります。丘陵地で丘からの眺めはすごくいいです。オイラは休憩も兼ねて向かいました。9時過ぎでしたがもう並んでいます。コヒーを飲みたくよりました。トーストもついたお得なセットで朝飯兼用でしょうか。 美味しいコヒーです。
肉やハムも売り場がありますが帰りに寄ります。道の駅でも公園のつくりが人気を呼んでいるのか知れません。今日はその公園や駐車場の周囲でアジサイがもう沢山目に入り近くへより見て回りました。すごく種類も多くきれいです。マダム達も彼方此方徘徊しておりました。写真を撮り満足でした。その後羽曳野市街から藤井寺へ向かいました。
たぶん丘であったであろうような場所が殆ど住宅地になりずいぶん開発が進んだように思います。20世紀のころは、たいそうですが、記憶では1980年ごろはまだ空地や緑があり手つかず状態でした。また歴史や町並みなど見ることもなく関心もなかった地域ですが、じつは古代から栄えた地域です。
最近は有名どこの奈良や明日香も好きで徘徊しますが、大和政権前のかつらぎや御所や太子町、羽曳野、河内長野のこの辺りが未踏が多くまだまだ知らないことが多く興味があります。今後まだまだ発堀調査も多くありいろいろな事実も判るでしょうね。渡来人が来た時は今と逆で多くの道具や文化は国内よりは進んでいたようです。当然ですが。
それでどうすんの?て聞かれてもべつに・・好きなだけです。なんか妄想をする材料が増えるような気がします。藤井寺も駅前からの商店街は初めて行きました。周辺はエライ狭い住宅地です。密集地帯と感じます。昔は近鉄牛ズのチームのホームグラウンドがあります。その当時一度行きました。
なんだか、ツーレポやらなんだか判らないようになりすいません。スペーシーでの帰路は泉北中央道へ向かいました。違うルートで帰宅します。坂の上下が続く和泉中央道で左車線走行中、後車2トンくらいのガス工事系異常接近右へ避けるとまた強引に前に割混みすぐに左へ逃げてのんびり前方へどのみち混んでるのでそれほど変わらない、まだズレた運転手が徘徊してるのだと驚きました。まあ工事もたいした工事は出来ないだろうなあと思いました。
マナーのおかしい車は車両もBKランプが片方が切れてるの多い。何度も踏むから左折か・・でもBKランプ片方のみだし?トンネルでの無燈車もボロ車が多い自己中系かな、きれいな車は平均マナーもよく整備不良も少ないように思いますが。
皆様もマナーのおかしい車や整備不良車や自己中系の車両からは万が一の為距離を置きましょう。
皆様、最後までお読みいただき有難うございます。
参考にサイトから
藤井寺市:大阪平野の南東部、大和川と石川の合流点にあり、市域はほぼ平坦。古代には河内国府が置かれ、堺と奈良を結ぶ長尾街道(古代の大津道)と竹内街道、高野山へ通じる東高野街道が通じていた。 現在は、近鉄南大阪線が東西に、国道170号が南北に市域を貫き、西名阪自動車道が通るなど交通が発達。市の西側の藤井寺駅を中心とした地域と、東側の土師ノ里駅、道明寺駅を中心とした地域に市街地が発達している。市名は、市内にある「葛井寺」(ふじいでら)に由来する。葛井寺は百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)の氏寺として、8世紀中頃に創建されたと推定されている。
羽曳野市:羽曳野丘陵と呼ばれる洪積台地が市の中央を縦断する。東部は古市郡の旧郡域となり、石川と支流の飛鳥川や大乗川などが北流する。西部は丹南郡の旧郡域となり、東除川が北流する。 古墳時代には多くの古墳が造営された(古市古墳群)。古代の官道といわれる竹内街道が市を東西に貫いている。11世紀ごろ、市東部の壺井が八幡太郎義家で有名な武家の棟梁の河内源氏の本拠地となる。